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  1. 1)琉球食文化に関する調査研究
沖縄美ら島財団総合研究所

琉球文化の調査研究

1)琉球食文化に関する調査研究

久場まゆみ*1・仲宗根あい*1・勝連晶子*1

1. はじめに

琉球文化財研究室では、平成28年度より琉球・沖縄の食文化についての調査研究を行っている。その拠点となるのは、平成28年9月設立の「琉球食文化研究所」である。同研究所は、財団の研究組織(琉球文化財研究室分室)と関連会社である株式会社琉球食文化研究所の複合施設である。
当室では、主に首里城および周辺地域の上流階級、首里・那覇などの町方(都市部)地域の士族の間で食された料理、客人へ振る舞われた料理などに関する基礎的研究を行いながら、(株)琉球食文化研究所が経営する琉球料理「美榮」(以下、「美榮」)と連携し、伝統的な料理や失われつつある琉球の食文化のレシピの保全・分析を行い、今後の継承・普及へつなげることを目的としている。

2.調査研究の内容

1)琉球料理「美榮」に関する調査研究

平成28年度より、現在「美榮」で継承および提供されている料理メニュー、調理手順等の実地調査・記録保存、所蔵資料の整理を実施している。
過年度は、「美榮」で通年提供されている料理から調査を行った。平成30年度は旬の時期に提供される「金柑の蜜煮」や「マンゴージュース」のほか、祝儀の料理である「イナムドゥチ」、「カタハランブー(白アンダーギー)」、伝統的な菓子である「サーターアンダーギー」「くずもち」などを含む約10品の工程を調査・記録した。
また、「美榮」所蔵資料の整理、電子化、手書きレシピの翻刻を行った。新たに収集した資料の中には、「美榮」創業者の古波蔵登美氏が執筆した新聞記事「琉球料理のつくり方」が含まれており、1967年10月から68年1月にかけて「琉球新報」夕刊に掲載されていたことが確認できた。平成28年度収集資料のなかに「琉球新報社原稿用紙」と印字された原稿用紙を用いた手書きのレシピがあったが、前述の新聞記事と比較したところ、掲載記事の草稿であることがわかった。古波蔵氏は、戦後の料理研究の先駆者である田島清郷氏に師事、さらに1962年より料理研究家・新島正子氏とともに「琉球料理研究会」を主宰し、料理の研究・記録を行っていた。それらの成果をもって「美榮」の経営のみならず、料理の普及・継承にも努めていたことを示す資料であるといえる。

2)琉球王国時代の歴史史料に記録される食文化情報の収集・翻刻

王国時代の食文化を歴史的側面から把握するため、琉球、薩摩関係史料に記録される料理関係の情報検索・収集、翻刻を継続して行っている。
平成30年度は、高良倉吉「百浦添御殿普請日記に関する研究ノート」(2004年度~2007年度科学研究費補助金(基盤研究(B)研究成果報告書『琉球国王家・尚家文書の総合的研究』2008年収録)を参考にして、尚家文書498号「百浦添御殿普請日記」から、1846年の首里城重修工事後の祝儀の場で振る舞われた料理の献立を翻刻した。城内の書院、南風之御殿(南殿)、御内原、番所で酒や料理が振る舞われていたことを伝える史料であるが、今後もその他の儀式の事例を収集・蓄積し、王城内における饗応の様相を明らかにしていきたい。
また、士族の公務日記類の読み込みを行い、料理関係記事の抽出を進めている。例えば、渡唐(中国へ渡る)役人の役職任命後の諸儀礼における饗応の次第、料理献立の情報である。その他に、薩摩役人の接遇役である「御仮屋守」「大和横目」といった役職を務めた那覇士族・高里家(現福地家)に伝わる日記から、薩摩役人への馳走、節句・折目の進上物・贈答品等の情報を収集中である。
琉球における饗応接待料理は、先行研究によって日本の料理の影響を受けていることが指摘されており、上述の史料からも窺うことができる。その系譜をたどるため、薩摩側の史料である尚古集成館所蔵の料理・規式文書の翻刻も開始した。同史料には、琉球の使節が薩摩へ赴いた際に振る舞われた料理の献立、薩摩の庖丁人(料理人)から琉球の庖丁人へ伝授した献立や作法の文書などが含まれている。今後も引き続き翻刻と内容の分析を進めていきたい。

3)近現代の食文化に関する調査

近現代の首里・那覇を中心とする食文化調査の一環として、ヒアリングや参考文献の収集・整理、新聞資料の収集を行った。
西大八重子氏(フィニシングスクール西大学院学院長)からは、尚順男爵(琉球王国最後の国王尚泰の四男)の子女・知名茂子氏より聞き取りを行い、松山御殿(尚順男爵家)の料理を再現した際の料理内容や味付け、器などの話を伺った。

  • 写真-1 「美榮」の料理手順の記録保存(カタハランブーを調理する様子)
    写真-1 「美榮」の料理手順の記録保存(カタハランブーを調理する様子)
  • 写真-2 ヒアリング調査の様子(西大氏)
    写真-2 ヒアリング調査の様子(西大氏)

ほかに、戦前までのおもてなしの行事として行われていたという「五段の御取持」を取り上げ、新聞や随筆に掲載された体験記、これまで再現された献立の記事を収集・整理した。婚礼や生年祝いなどの人生儀礼、辻の料亭における客人のもてなしのため、煙草や茶・菓子から始まり、膳仕立てで料理が供されたと言われているが、その源流はいまだ詳らかでない。安次富順子氏(安次富順子食文化研究所所長)からのヒアリングでは、王国時代の記録との突き合わせの必要性についても助言いただいた。今後検討を要する課題である。
また、廃藩置県以前から首里に住んでいた女性を中心に構成された「首里人の文化研究会」の世話役を務め、首里の通過儀礼、年中行事や料理、言葉などの聞き取りを行ってきた比嘉文子氏にもヒアリング調査に協力いただいた。御殿・殿内の料理に関することや、比嘉氏の祖母が戦前、首里城の二階御殿で営んでいたという「城内食堂」の料理について話を伺い、メニューを書き留めた資料を確認することができた。さらに、首里人の文化研究会編集の『昭和時代の首里の日々』(その一~四)より、料理関係用語の抽出を行った。
戦後については、「うるま新報」「琉球新報」といった新聞から、配給食糧である小麦の調理法を伝える記事、料亭の広告、生活改善(運動)として盆や清明祭の料理の簡素化を伝える記事、田島清郷氏による琉球料理のレシピ解説の連載記事等を収集・整理した。戦後の食文化・食生活の変遷を辿るうえで基礎資料となることから、今後も継続して収集していく予定である。

3.普及啓発

平成31年1月には、沖縄県文化振興課の「沖縄県食文化保存・普及・継承事業」の一環として実施する「琉球料理担い手育成講座」の座学講座のうち、「琉球漆器」、「風俗・習慣」の講師を当室職員が担当した。前者は「琉球漆器の歴史」と題して漆の特徴、琉球王国の漆器、技法、料理の器としての使い方について解説した。後者では、「沖縄の年中行事と食文化」のテーマで、沖縄地方の主な年中行事を紹介し、行事の供物と行事食、古文書にみられる年中行事と料理(供物・進物)の事例について解説した。

4.課題(今後の展開)

今後も引き続き、琉球側、薩摩(日本)側の史料の翻刻・分析を進め、日本料理にも詳しい有識者へのヒアリング調査を行い、琉球の食文化の系譜について研究を深めていく。併せて、王国時代の献立内容を読み解いて基礎資料を蓄積するとともに、「美榮」の創業者がのこしたレシピやこれまで記録したレシピとの比較研究も行う。以上のような調査研究をふまえて料理再現の可能性を検討する。
また、王城内や周辺地域における饗応の料理や次第、作法等の情報を収集・分析し、首里城公園の展示・解説への活用に寄与していきたい。

5.外部評価委員会コメント

中国・日本が混ざり合っている文化であり、現在の状況では鹿児島とのつながりの復元がまだである。その調査研究を進めて行ってほしい。また古文書からの(料理の)再現を進めているが、読むだけでなく再現する人材を育成していってほしい。(安次富顧問:安次富順子食文化研究所 所長)
海洋文化館の展示を見せていただいたが、生きている人の生活がテーマの一つと感じ、暮らしの中の食も生活の中に息づく文化として扱ってもらえればと思う。音楽の再現も取り組んでいるが、これも同様に食にもつながる研究となる。
古文書等文献資料を基にして王国時代の料理を再現し、琉球食文化の発展に寄与してほしい。(西大顧問:フィニシングスクール 西大学院 学院長)


*1琉球文化財研究室

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